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2011年3月28日 (月)

しょうゆーこと~!

今日の検査は、朝6時からの検尿と、
そのあとから朝の朝6時までの24時間蓄尿なので、
随分、時間を持て余しました_(^^;)ゞ

明日はおそらく午前中に余分な注文を出した歯科(歯石とりクリーニング)くらいで、
明後日に腹部造影MRI、3/31に胃カメラを予定しています。

そう言えば、テレビ観てないなぁ・・・
今夜はテレビでもたまに観ようかな~
テレビの環境は病室に地上波PAYテレビ、ノートPC、
そしてアンドロイド携帯に普通の携帯と観れる環境は充分にあるのですが、
やはり、自宅に帰って大画面で観たいものです_(^^;)ゞ

まぁ、自宅兼事務所に居るときよりも、
企画書などは随分捗り、5つのプランのラフは出来上がりました!
あとは退院して、企画書を完成させようと思いますが、
マイミクさんからのご指摘あったように焦らず焦らず、
退院を心待ちにしたいと思っています。

この曲、知ってますか?
Do!の「フェラーリ308GTB」!
好きな曲だったなぁ~♪
この曲を今から二十数年前のサラリーマン時代に
同僚のスッさんが朝出社すると、エレピを弾きながらいつも唄ってました。
初めてスッさんの唄う「フェラーリ308GTB」を聴いたときは、
おっ、こんな歌を知ってるヤツが居るんだと思ってスッさんとは実に仲良くなりましたね~

まぁ、彼は本当はミューシシャンになれば良かったような存在ですが、
中華料理店のバイトからサラリーマンになった変わり者!
非常に仲がなり、毎晩、大将の店と呼んでた千日前の寿司屋に通いましたね~

さて、この「フェラーリ308GTB」の中で、13回の窓から飛び降りないで~♪
東京のマンションのことを言ってるのですが、今の福岡で初めて住んだのが、
13階マンションの13階でした。それだけで嬉しくなり、
酔うとよく窓からと飛び降りてやろうかと思ったほどです_(^^;)ゞ

ええ曲だなぁ~ 懐かしいなぁ~

「フェラーリ308GTB」 by Do! 山梨鐐平
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「誠の波乱万丈伝」=幼年期(PART1)=
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690552310&owner_id=32444569
「誠の波乱万丈伝」=幼年期(PART2)=
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692160809&owner_id=32444569
「誠の波乱万丈伝」=少年期(PART1)= 小学校時代
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1693981662&owner_id=32444569


「誠の波乱万丈伝」=少年期(PART2)= 中学校時代

前回の少年期(PART1)は私と野球の出会いでほぼ埋め尽くされました。書き終えたあと思い出したことを追記しておきます_(^^;)ゞ

私が親父の名代として、生まれて初めて親父の故郷、鹿児島県の奄美大島/小宿に行った時のことです。
親父の名代? それは親父の父、つまり祖父が持っていた奄美大島にある土地を鹿児島県名瀬市に無償移譲するための契約に名瀬市役所に出向く必要があったのです。
郵送でのやり取りや名瀬に居る親父の末弟を名代とすることも可能だったみたいですが、折角の良い機会だからと中学に上がる春休みに親父の叔父さん(祖父の弟)と一緒に大阪港より天理教おじば帰り割引してもらえる船で親父の故郷、奄美大島へと向かいました。約一日の航路でしたが船酔いもせず実に良い船旅でした。

奄美大島では光郎叔父さんこと親父の末弟が、名瀬港で出迎えてくれ、光郎叔父さんの家に宿泊し、無償譲渡契約のための市役所はもちろんのこと、奄美大島のいろんな所へ連れて行って貰いました。
あっ、光郎叔父さんの事は昔からミッちゃんと呼び、幼少の頃から慣れ親しんでいた叔父さんです。当時のミッちゃんは結婚したばかりで長女(私のいとこ)が出来たばかりでした。
私は、親父の長男で○家の直系家督相続の立場にありました。
つまり、奄美大島に存在する○家の代表のような立場になるらしく、どこへ行っても歓迎されました。さらに私のリトルでの野球の事までもが奄美大島の親族に伝わっており、それはそれは大事にされました。

奄美大島で一番思い出に残ってるのは、やはり親父が生まれた小宿への訪問!
その小宿の海岸は遠浅で、天気の良い日にミッちゃんと小さな手漕ぎボートで沖近くまで出たのですが、いやぁ~ 生まれて初めて船酔いを体験し、ゲーゲーゲーゲーを連発・・・
けれども小魚やウニ?を採取し、体調は悪かったけど美味しい海鮮料理を満喫!
あとは名瀬運動公園! 名所でも無いのになぜ? 実はここが、私が奄美大島に来た目的でもある無償移譲する祖父の土地がある場所で、何か祖父の匂いを感じたというか、祖父を感じたというか、案内して下さった役所の方の笑顔が実に素敵だった思い出があります。
その帰りにハブセンターに立ち寄り、マングースvsハブの戦いを観戦。しかしその帰り、ハブセンターの土産物屋さんで、さとうきびを買ったのですが、そのさとうきびで少々馬鹿をしてしまいます_(^^;)ゞ
その馬鹿って言うのは、実はさとうきびは生まれて初めて味わったのですが、しがむだけだとは知らず、全てを噛んだあと飲み込んでしまう大馬鹿者_(^^;)ゞ
運良く私は胃腸は頗る丈夫なので、胃腸は壊さなかったのですが、親族じゅうの大爆笑者に・・・ 約一週間ほどの奄美大島旅行?はホント私の良き思い出になりました。

よって小6は、台湾・米国・東京、そして奄美大島へと実にいろんな所を出向きました。
そうそう、帰りの船は私一人での帰路になるのですが、それはそれは大変で・・・
と言うのも台風が接近中しており海は荒れ模様。二等船室の中の灰皿が行ったり来たりするような激しい横揺れで、キツイ船酔いをまざまざと体験。さすがに一人だとキツイですね・・・
まぁ、本来の航路は外海(高知沖の太平洋)なのですが、内海の瀬戸内海に変更になりました。その時、当然デッキには出れませんが、船の中央付近にあったジュークBOXから流れていたのが当時流行ってた、かまやつひろしの「我が良き友よ」!
この曲には助けられましたね~。持っていた100円玉のほとんどを「我が良き友よ」を聴くのに使いました。
いまでも「我が良き友よ」を聴くと、その時のことが思い出されます。
♪下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐい ぶら下げて♪
しかし船酔いはおさまらず、船舶内の公衆電話からお袋に電話をかけ、大阪港での下船予定でしたが、先に神戸港にも寄るので、神戸港で下船したいと!
そんな私のワガママをお袋は聞き入れてくれ、両親は神戸港まで迎えに来てくれました。
こんな思い出を少年期(PART1)に綴るのを忘れてました_(^^;)ゞ
あっ、お袋の故郷の香川県小豆島には小学校時代に三度ほど行ったことがあります。
まぁ、小豆島には親戚は居ませんが・・・_(^^;)ゞ

さてさて、それでは少年期(PART2)を綴りたいと思います。
少年期(PART2)は中学時代・高校時代のことになりますが、この時代こそ、現在の私の性格などが作られた時代かと思います。ただ、ここからの波乱万丈伝は特定の方から嫌われたり詰られたりすることも覚悟の上で綴りますので、何卒ご容赦下さいませ。

豊中市立島田小学校を卒業した私は、豊中市立第六中学校に入学します。
当然、野球少年だった私は、クラブは野球部に入部。ただ小学校卒業と同時に豊中リトルリーグを卒団し、淀川シニアリーグに入団。よって中学の準硬式野球と、シニアリーグの硬式野球との掛け持ちになります。
中学の野球部の練習が終わったら、シニアリーグの練習に出掛ける毎日が続きます。
あっ、淀川シニアリーグと言えば、後に昨年まで楽天ゴールデンイーグルスで活躍していたノリこと中村紀洋が在籍していました。というものの彼は12歳も下の後輩ですが・・・_(^^;)ゞ
またまた野球の思い出になりますが、入部した中学の野球部は全く強くなかったです。しかし夏の新人大会、つまり一年生ばかりの大阪の大会で、少しだけ私が活躍したこともあり、私を始めとして同じ中学からの二人が大阪の中学選抜メンバーに選ばれます。
決して自慢じゃ無いですが私は中学の三年間ずっと大阪中学選抜メンバー_(^^;)ゞ
そして、その大阪中学選抜で強烈な出会いをします。

その経験とは、大阪中学選抜メンバーはその名の通り、大阪の中学生から選ばれる訳で、そこに私に最も強烈な印象を与えた中学生が現れました。
その中学生とは、3年後、大阪の浪商高校のエースとして甲子園の高校野球で大活躍し、ドラフトで中日ドラゴンズへと入団した牛島和彦。あっ、横浜ベイスターズの監督もやりましたね_(^^;)ゞ
いやぁ~ 初めて牛島の投げた球を観たときの驚きは今でも忘れません。
えっ?! これが同級生の投げる球か? まさに震えましたね・・・
台湾・米国などで外国人の球も経験している私でしたが、牛島の球の方が外国人より数段上で、まるで別格でした。
速い! は当然として、球の回転がスゴイんですね・・・ つまりキレが抜群の球を投げてました。しかも不思議なことに牛島は、全然練習をしません。全然走りません、全然投げ込みません。。。練習はサボってばかりの男です。
勉学で言うところの「天才」というタイプなんでしょうね・・・ 私にとって、それはそれは凄いショックでしたね。
そんな時にもうひとつ大きなショックな事が訪れるんですね・・・
それは当時、お袋が妹みたいに可愛がっていた洋裁・和裁の教え子みたいな女性が居たのですがその方の弟さんが、なんと阪神タイガースの代打の切り札、知る人ぞ知る桑野譲という選手。
その阪神の桑野選手が大阪の枚方/宮之阪ってところでスポーツ店を開店されるとのことで、お袋は開店イベントへの招待を受けました。まぁ、お袋は私が野球が好きなので喜ぶだろうと思い、開店イベントへ連れて行ってくれました。
そのイベントには、当時活躍し始めたばかりのミスタータイガースこと掛布や安仁屋、山本和行選手も来ており、阪神ファンだった私は感動しましたね~ しかも開店イベント後、プロ野球選手達に少し時間があるとのことで桑野選手が私にプロ野球選手とキャッチボールでもして見るか?と!!! 嬉しかったですね~(^〇^)
早速、グローブとボールを借り、近くの空き地でキャッチボールを始めたのですが・・・
私は強烈なショックを受けてしまうのです。。。。。
掛布選手にしても安仁屋、山本和行選手も笑顔で喋りながら私とキャッチボールをしてくれるのですが、私に投げている球が速いんでは無く、真剣そのものの心が入った球なんです・・・ しかも、それがキッチリ胸元に寸分も違わず・・・
プロ野球選手達は、私に向かってお世辞で「ええボール投げるやん!」と言ってくれるのですが、プロ野球選手の凄さ?を肌でヒシヒシと感じるんですね・・・
大阪中学選抜で牛島に感じたものと似たものをプロ野球選手にも感じるのでした。
ショックだったですね・・・ ショックだったですね・・・ ショックだったですね・・・
その頃は、別に野球で飯を食うとかも考えて居なかったし、甲子園に出たい!などとも思わなかった私ですが、野球、野球、野球、今まで生きて来た身体の一部だったですから、実にショックでした。
それからじばらくして、私は野球を断念することになります。
努力すれば! 努力って言葉が実は私に取ってキライな言葉なんですね・・・
私に取って「努力」とは当たり前のことで、努力してるで~ と叫ぶほど馬鹿なことは無いと今でも思ってる人間で、努力と似てる? 「頑張る」もキライな言葉のひとつで、頑張るも私の中では当たり前の言葉で、今まで私の日記やコメントなどで感じた方は多く居ると思いますが、私は頑張るって言葉は敢えて使わず、気張るって言葉を使います_(^^;)ゞ
ちょっと脱線しましたが、人の数倍気張り練習すれば、ショックを受けた人達に
少しでも近づけるかも知れないとも思いましたが、その間のリスクの方が今後の人生にとってマイナスかも?と正直思いました。
まぁ、辞めた諦めた理由をそんな格好ええ形にしたいだけと指摘されればそれまでですが、自分の中には生涯心の中に悔やみを敢えて残そうとしました。
だから少し話は飛びますが、現在、そんな野球関係の仕事に少しだけ携わっています。
全然お金にはなりませんし、儲かりません。時間がかかります。最悪です・・・
しかし、その時のことがあるから私としては野球の仕事に携わるだけで実は心を補われ、誰になんと言われようと続けている次第です。

さて、野球は断念し中学の野球部を退部、淀川シニアも退団します。
ここからは少し話が前後しますが、野球を諦めた引き換えでは無いですが、逆に新たな出会いも次々と生まれて来ます。
私の人生の中で激動の年と呼べる年が、中学三年間です!
そうですね・・・この頃の私はクラスメートからどう思われていたか? ここで暴露しちゃいましょう_(^^;)ゞ
えっと、女子生徒から目茶苦茶嫌われていた男子生徒の代表なんです!
まぁ、男子生徒にはそこまででは無いのですが、女子生徒には、それはそれは酷く嫌われてました。
理由は実に簡単で、とにかくイタズラ大好き男子だったのと、いつもぺちゃくちゃ話している女性が目茶苦茶大キライ!
一番嫌われイタズラが私が考案?した「くちゃいくちゃいの刑」!
これはイヤがられましたね・・・ 当然なんですが・・・
どんなイタズラかと言いますと、イタズラ三人衆の排便(ウンコ)を便所紙(まだティッシュは無かった・・・)に包んでおき、お昼の休み時間や放課後にぺちゃくちゃ喋って煩い女子生徒にそのウンコを包んだ便所紙をお前は煩い!「くちゃいくちゃいの刑」だと叫びながら、投げつけるんです(>_<)
・・・ヒドイでしょ。。。。
そんなイタズラとか、何かの教科の担当の先生が休まれて自習などになると、ノートなどの自習帳を集めるでしょ? そのノートにイタズラ三人衆が感想を勝手に書くのです。
つまり、その人間の短所や顔・体型などのことをエゲツナク、コメントするんですね・・・
今も昔もそうですが、単なる弱いもん虐めですね・・・
しかし自分では強かろうが弱かろうが、それは男女区別無く分け隔てなくやってましたね・・・_(^^;)ゞ

しかし中1の担任、黒ぶちメガネをかけていた鈴木先生(技術家庭科)にはいつも殴られていました。
忘れもしません中1の三学期に鈴木先生がとてつもない大爆発をされます。
まぁ、いつも如く、歯を食いしばって平手打ちを覚悟してたのですが、その時は思いっきりグーで殴られ、ビックリしました・・・
まぁ、私ともう一人は大丈夫だったのですが、山本っていう同級生が倒れこんだ上に鼻・耳から出血・・・ しかし救急車なんて呼ばなかったですね。。。
山本は学校を早退しました。私達は帰りに山本の家に行くと、山本の親父が私達がイタズラ仲間だと知って、私達は山本の親父さんに殴られましたね。。。。。
結果、どうなったかと言いますと山本は鼻の骨が折れ、耳の鼓膜が破れていました。
しかし不思議なもんです。今だったら学校側も大問題ですよね?
それが当時は全然違うんです。山本の親は担任の鈴木先生にひたすら謝り怒ってくれたことへの感謝。しかも私達のイタズラで迷惑をかけた女子生徒の家にも一軒一軒謝りに行くのです。
まぁ、こんな時代だ!と言うのも変ですが、どんな理由があろうとイタズラをした人間が一番悪く、よくぞ先生、ブチかましてくれましたって感じでした。
実は私の両親もそうでしたね・・・
あることで女子生徒の代表数人が我が家に来たことがあります。運が悪いことにその時お袋は体調を崩して自宅で寝込んでおり、その布団の横で数人の女子生徒が私のお袋に嘆願書を差し出すのです。その嘆願書とは、2年4組○○誠一郎君を学校に来させないで下さいと・・・ つまり私に学校を辞めてくれと言うことです。。。
お袋は、涙を流しながら私がして来たイタズラを女子生徒から聞いてましたね・・・
さて、どうなったかと言いますと、その夜、親父が仕事から帰って来ると、親父の鉄拳制裁! 私は鼻血ブーブー状態・・・ しかも親父はテレビの横にいつも置いている長~い鉄のバールでお尻を何度も何度も叩かれ、最後は我が家の名物?ヤイト(お灸)が始まります。
私が怒られていることにクスクス笑う弟達、私はお尻と手の親指と人差し指の間へのヤイト(灸)・・・
まぁ、我が家は小学校の時から怒られる時は決まって、殴られた上にヤイト(お灸)という流れでした。 こんな歳になっても、そのヤイトの跡が残ってますね_(^^;)ゞ
まぁ、女子生徒の嘆願書事件も翌日お袋は学校に出向き、クラスの女子生徒全員に私は土下座で今後一切しないと宣言させられ、詫びを入れ、何とか聞き入れて貰えます。

でもこれを機に私は全くイタズラを全くしなくなるんですね・・・
それはイタズラに懲りたのもあるんでしょうが、自分の中では音楽との出会いが非常に大きいです。
もともと私の親父は音楽が好きで、単音弾きながらもギターを弾く男でした。
しかし、親父の聴く曲、弾く曲はバタヤンこと田端義夫や軍歌ばっかりでした。
そんな中で私がズッコーーーンといわゆるカルチャーショックを覚えたのが、河島英吾とホモサピエンスの世界でした。特に「てんびんばかり」という曲は私がアコースティックギターを持った最初の曲です。そして煙草やお酒も友人と覚えたりしましたね~。
最初に吸った煙草は親父が吸っていたハイライト! 立ち眩みして最初の日はゲーゲーゲーゲー。しかしまた手を伸ばしているうちに喫煙者の仲間入り。
今、思い出しても実に楽しかった毎日で毎晩毎晩、中古で買ったアコギをチャリンコ(自転車)に乗り抱え、庄内の隣町三国の神崎川堤防に集まり、ちょうど禁鳥アースの工場裏で、ギターを弾きながら大声で唄ってました。

そんな時に多くの音楽を聴くようになり、今でもハマっているのがTHE BEATLES!
青盤・赤盤を手に入れ、どれほど聴いたことかぁ・・・
そして前田ってヤツとの出会いも大きく、彼はアコギがバリバリで2フィンガー・3フィンガーを教えて貰いましたね。
そんな前田と衝動的な旅をします。
それは当時前田が好きだった長渕剛(当時はナガブチゴウ)との出会いで、まだメジャーデビューもしていない長渕剛を前田は気に入り、福岡の天神のライブハウスで唄ってることを知った前田が観に行こうと・・・
大阪から見れば、九州でしょ? 私達には東京より遠い感じがしましたが、なけなしのお金を集め、二人で快速・鈍行の旅で10時間以上かけて福岡に向かいました。
その福岡に今、住んでいるのですから人生って誠に不思議なものです_(^^;)ゞ
博多駅に着いた私達は、天神の長渕剛が出演していた「照和」にアコギを担いで向かいます。
そして、いよいよカセットテープでしか知らない長渕剛のステージを観たのですが、いやぁ~ 鳥肌が立ちまくり状態!
私なんか、これが初めて生で観るミュージシャンのステージでしたから、涙が溢れましたね。
長渕剛のステージが終わり、照和の出入口のところで長渕剛自身がオリジナルカセットを販売していました。お金の無い私達は、二人で一本のカセットを購入したのを覚えてます。
もちろん、福岡に泊まるお金も無い私達は、大濠公園を人に聞きながら目指し、大濠公園のベンチで野宿をしました。
まぁ、暑い夏、それに若かったから出来たことでしょうけど、良き良き思い出です。

それからの私は野球をやっていることなんか、まるで別世界のこととなり、とにかくギター三昧の毎日で河島英五や長渕、そして吉田拓郎・かぐや姫など、あらゆるフォークと言われた音楽を聞きまくり、弾きまくってました(^〇^)

そうそうこの頃、とにかく野球部の練習がサボリたくてサボリたくて・・・
そんなある日の土曜日、お腹が痛いとウソの腹痛を訴えクラブをズル休みしようとしました。
するとどうでしょう、ウソなのに中学校の隣にある上田外科病院に連れて行かれました。
そしたら・・・ 先生が診断したところ、お腹にガスが溜まっていて、これは急性盲腸だとの診断。ホンマかいなぁ~
今更自分から、ウソですとは言えず、ドギマギしていたら後ほど手術しますと・・・
先生は簡単だから安心して!と・・・
安心していたけれども、やはり手術なのでお袋を呼ぶことになります。そして盲腸の手術が始まります。
簡単な手術だと思っていたのも束の間、手術の前に看護婦さんに陰毛を半分剃られ、恥ずかしいやら恥ずかしいやら、しかもその後、下半身麻酔を行うのですが、これは私が今まで生きて来た中で一番の痛みだったほど、強烈な痛みが脊髄に走ります。
動いたらダメだと看護婦や医者に抑えつけられて、逆エビ状態になる私・・・
しかし激痛を味わって数分後には麻酔が効き始め、盲腸手術開始!
盲腸手術は自分でもメスを入れられていることが分かり簡単に数5分余りで終了。
しかし手術が終わって、一週間程度の入院をしたのですが、もうウソはつかないぞ!ウソはつかないぞ!と心に誓いましたね。
この話は、どんなことでも話せたお袋には、未だに話していません。
お袋、ごめんな。m(_ _)m 実は盲腸ってウソやってん、ごめんな。m(_ _)m

さて、いよいよ中3なのですが、
この中3が私の人生を一変させることになります。
私の中では中3から高校時代は、あること一色の世界で辛い?厳しい?辛い?って感じだったでしょうか?
それだけに普通、高校時代って楽しかったよね~
って言う会話をよく耳にしますが、私は辛い思い出しかありません。
しかし、これが今の私を作ったと思いますので、感謝感謝の時代になります。

次回は「誠の波乱万丈伝」=少年期(PART3)= 中3~高校時代でそのあたりを!



「誠の波乱万丈伝」=幼年期(PART1)=
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690552310&owner_id=32444569
「誠の波乱万丈伝」=幼年期(PART2)=
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692160809&owner_id=32444569
「誠の波乱万丈伝」=少年期(PART1)= 小学校時代
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1693981662&owner_id=32444569

「しょうゆーこと」~と言えば、吉本ピン芸人村上ショージのギャクですが、
私の「しょうゆーこと」と言えば、上の写真!

実はこれが現在入院している日赤病院で、大評判!大人気!
ただ単に100円SHOPで購入したスプレーに
減塩醤油を入れただけの簡単なもので、昨年より自宅だけで使ってましたが、、
病院で食事に付いて来る減塩醤油(5g)が多く感じて、自宅より持参しました。

それを目にしたのが、まずは看護士さんに主治医!
そして先日は栄養士の方々が・・・
たちまち病棟で話題になり、患者さんでも持たれる方がチラホラ(^〇^)

このメリットとしては、
10回ほどのスプレーで約0.5ml程度ですから、
いつも食事に添付される減塩醤油の1/10!
しかも節約にもなりますし、高血圧などで塩分摂取を控えている方にはGOOD!
10回もスプレーをすれば、多い感じがするので、
使えば使うほど、スプレー回数は少なくなります。

主治医曰く、全国の赤十字病院では糖尿・腎臓・高血圧などの患者会があるらしく、
次回是非、このスプレーを紹介したいとのこと_(^^;)ゞ
おぉぉ、、、しょうゆーことが社会に貢献~

日本人は欧米人より倍以上の塩分を摂取しているので、
欧米人より高血圧の割合が非常に高いので、
このスプレー醤油は、全国的に広がると言われました。

今、この日記を読んでいる方で高血圧などにお悩みの方は、
ぜひ試してみて下さいね! ショウユーこと(^〇^)

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